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夢をかなえるゾウは、僕の母だった。

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夢をかなえるゾウとは、ガネーシャなる象の神様が次々に課題を出し、成功者の習慣や思考を身につけていく物語形式の自己啓発本。昔手に取った時は「ふ〜ん」くらいに思っていたのだがふとまた手に持ってみると「もしかしてこれはお母さんの事ではないか」と思いだした。夢をかなえるゾウの課題と共に、母がくれた幸せを振り返りたい。

「自分を変えたい」という想いが引き寄せたゾウ

夢をかなえるゾウに登場する主人公の男性会社員は、「自分を変えたい!」という強い思いはあるものの、何をやっても3日坊主で終わってしまう。 そんな主人公が拾ってきた置物が象の神様ガネーシャと変わり、成功への教えをひとつひとつ実践して行く物語。ガネーシャの関西弁が非常に成功への教えをポップに表現しており、すいすいと読めてしまう。 主人公は教えの中でガネーシャに「そんなの意味あるか!」と反抗する。そこで過去の偉人たちの言葉を引用してガネーシャは「成功への行動の裏にある意味」を教えてくれる。それがまた響く。

ガネーシャの課題は母が全てやっていた

ガネーシャの課題を見てみると、全てではないけど母が日常からやっていたことばかりだった。あらかじめ断っておくが、僕はとりわけ裕福な家庭に生まれたわけではない。両親共にサラリーマンをしていたごく普通の家庭だ。 ただ、母がやっていたことをみると、どれだけ「当たり前のことをコツコツ続けられるのか」ということの大切さを教えてくれた気がする。 課題と共に振り返っていきたい。

(1)靴を磨く

まず出てくるのが靴を磨くという行動。イチローがグラブを毎日磨いていることを例に挙げて靴を磨くことの大切さを説くシーンだ。 母もよく靴を磨いていた。革靴だけでなくてスニーカーもじゃぶじゃぶと洗っていたし洗ってくれた。お陰で僕はいつも気持ちよく靴を履けた。 靴を磨くことは物を大切にすることに繋がる。母はとても物を大切に、そして丁寧に扱う人だった。物を大切にする人は人を大切にする。「余計なおせっかい」くらいに人の世話をしていた僕の母。それは物を大切にすることから始まったのかもしれない。

(2)食事を腹八分目におさえる

僕の家庭では、大皿におかずを作り、それぞれが分けて食べるスタイルだった。 母はいつも「お母さんはもう十分。一杯食べてね。」と優しい笑顔を見せてくれた。 腹八分目で医者いらずという言葉があるように、腹八分目は健康に良いことだ。しかしそれ以上にガネーシャは、腹八分目を通して「自らをコントロールすること」を教えてくれた。

腹八分目は些細なことに見えるかも分からんけど、これ、今日からずっとやってみ。食べたいと思ても腹八分で必ず抑えるんや。そうやって自分で自分をコントロールすることが楽しめるようになったら、生活変わってくるで。

人間は、すぐに欲に負けてしまう。しかし、自分の人生をコントロールしていくには、自分の行動や欲をコントロールしていく必要がある。 僕の母は非常に我慢強い人だった。それこそ自分の欲をコントロールしている人だった。その分、僕が何かプレゼントしたりすると、顔をくしゃくしゃにして笑ってくれる。それが僕にはたまらなく嬉しかった。

(3)会った人を笑わせる

母はおしゃべり上手だ。相手の事を気にかけながらも、しっかりと冗談を織り交ぜてくる。だから喋っている相手も楽しそうだ。

笑わせる、いうんは、『空気を作る』っちゅうことなんや。

この言葉通り、母はその場の雰囲気を和ませてくれた。やはり笑顔の多い空間というのはその場にいて心地の良いもの。ガネーシャからというより、これは母から学んだ気がする。

(4)トイレ掃除をする

毎日のようにトイレ掃除(水回りは毎日掃除していた)をしていた母。お陰で僕も毎日掃除をするようになっている。

トイレを掃除する、ちゅうことはやな、一番汚いところを掃除するっちゅうことや。 そんなもん誰かてやりたないやろ。 けどな、人がやりたがらんことをやるからこそ、それが一番喜ばれるんや。

家というのは、住んでいる人の心が表われると言う。1番汚いところに向かい合い、そこを綺麗にする。何よりもトイレが綺麗だと気持ちが良い。 トイレ掃除や掃除に関してはイエローハット創設者の鍵山氏の本がとても参考になる。これを見て僕は自分のトイレ掃除を更に進化(細かいところまでやるようになった)させた。やるなら徹底的が良い。

(5)運が良いと口に出して言う

雨が降ったことに対して『運が悪い』て思ったやつは、世界を支配している法則と、自分の考えている世界とのズレを、そのまま放ったらかしにしたことになるんやで。

普段起こる事というのは、自分では全くコントロールが出来ないこともある。というか大半はコントロール外のことだ。それをどう捉えるのかはその人次第ということだ。 ただただ「運が悪い」と片付けるのか「こんなことが今度から起こらないようにする改善策が分かった、学びがあって運が良い」とするのかはそれぞれだということ。 僕の母もよく、チャーミングな笑顔と共に「ラッキー」と口に出して言っていた。 ラッキーとか運が良いと口に出して言うと、不思議と「どうしてラッキーだったのか」を考え始める。 物事には、善悪の2面性がある。どこをどう言う風に捉えるのかはその人次第だ。物事を肯定的に捉える練習をしてみてはどうだろう。

母は身近に在る「幸せ」を教えてくれた。

「成功」というものが何を指すのか僕には分からないが、僕はガネーシャの本から、そして母から「身近にある幸せに気づく幸せ」を教わった気がする。 ガネーシャの教えというのは、小さな変化の積み重ねだ。そしてその変化の途中、様々な事に気づくことになる。靴磨きにしても「こんなに汚くなるまで頑張ってくれたんだ」とか、この靴にも作り手さんが居て、その人にもその人の生活があって、とか。 そうなると「今ここに居ることの不思議」を感じてくる。私はそうだった。ひとつでも何か「ヒト・モノ・コト」のタイミングがずれていたら今の私は無い、と。 小さなことの積み重ねで、小さな事に気付く。母が背中で語ってくれた「成功の法則」。そこには小さな感謝が在った。 成功も幸せも、すぐそこにあるものなのかもしれない。